豆寒天的日常。映画、本、テレビ、サッカーなど。↑ちなみにコレは水を飲むパンダ。池に頭つっこんでマス。


by mamecan10
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疾走

重松清の「疾走」について、てごにゃんの映画も公開されてることだし書きたいと思います。

重松清は少年たち特有の精神構造を書くのがとても上手な作家です。疾走以外にも「エイジ」(余談ですが実はこれがNHKでドラマ化された時に主演したのが聖きゅんです)や「ナイフ」など。
が、その中でも「疾走」は特異な位置にある小説のように思います。
とにかく救いがない。題名の「疾走」はとても色々な意味を含んでいるのですが、読者は冒頭から終焉まで一気に破滅へ向かって疾走させられているような気持ちになります。
どこかに救いが出てくるのではないか・・・そう思いながら読み進めるのですが、底のない落とし穴に落ちていく、というか。
辛いのは必ずしも少年の進むべき道がそれ一本ではない、ということが読者にはわかってしまう、というところではないでしょうか。
「そっちじゃなくてこっちに行けば・・・」と思いつつ、私たちは主人公の少年の疾走を止めることができないのです。
小説の舞台は日本なのですが、私たちの住んでいるところとは全く違う世界といってよいでしょう。閉鎖的な社会、その中での差別、よそ者への感情・・・様々なものが入り組んでいますが、私たちも経験したことのあるような問題も少なからずそこには見受けられます。
ただ、それらの問題が全て主人公の少年にとってマイナス方向に降りかかり、少年は何か世界の悪を浄化するための生贄として差し出されているのではないか、という気すらするのです。
が、当然ですが少年一人に悪事が降りかかっても世界は変わらないのですよね。ただ一つの事件、として葬り去られてしまう事実。
何のために彼は生きたのだろう・・・彼がいかに色々なことを感じ、考え生きたとしても、彼の人生がほとんど何の意味も持たないような結末を迎えるのが切ないです。
もちろん、彼に関わった人々にとっては彼の人生や生き方は何らかの意味を持つものであるのでしょう。
そこに人生の意義がある、と言うこともできますが、私は敢えてそこには意義を見出したくありません。彼を犠牲者にはしたくないのです。
この小説はある神父が出てくるのですが、彼はひょっとしたら世間の「大人」というものの現れなのかもしれません。

この小説を読む前までは映画「疾走」を「てごにゃん(にゅーす組です)出るし、シネスイッチ銀座だし、見にいくぞ」と思っていたのですが、小説を読んでしまうとそう気軽にはいけなくなる。相当覚悟を決めて見に行かなくてはならない作品なので。
てごにゃんは好演してるようなのですが・・・。うーむ・・・多分、行かないんだろうな・・・。逃げ、でしょうか・・・?
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by mamecan10 | 2005-12-26 21:05 | 本・漫画